効率に支配されてませんか?家庭では言ってはならないコトバとは

クオリティ・コントロールという生産管理手法が日本に紹介したのはアメリカでした。主に大量生産を行なう工場が生産効率を高めることを目的にした手法です。そのクオリティ・コントロールは日本で導入されるようになり、日本の品質は今や世界トップになりました。アメリカでさえ日本のクオリティ・コントロールを学ぶのが大学での必修になってきているそうです。

効率という言葉に注意が必要です。もう一度繰り返して言いたいほど、注意が必要なのです。それは疑いなく良いことであると思われているからです。効率が良い、というときに悪い評価だと思う人はいないでしょう?そして効率が悪いということは、なす術もなく悪いという評価になっているのではありませんか?つまり私たちの考えの奥底の方で、効率の良いことを求めるようになっているのです。

日々、少しでも安い食材を仕入れておいしい食事を作るってすばらしいことです。でも知らないうちに、その日常に効率が良いことを求めているのではないでしょうか。効率化とは時として省力化として働きます。同じことをするのであれば、少しでも労力が節約できる方が効率的だからです。電子レンジを多用してから、出来合の食品を買うことまで、省力化の行為であれば、その裏側には効率という概念が必ず潜んでいます。

夫が「もう少し〜してくれれば、……。」という相談も少なくありません。「……」のところには「効率が良いのに」という言葉がちょうど良く納まります。妻が「もう少し〜を考えてくれれば、……。」やはり「……」のところには、「効率が良いのに」という言葉の納まりが完璧なのです。私たちの生活はありとあらゆるところで「効率が良い」ことが規範化しているといえるでしょう。

そして誰彼構わず相手を「効率が良いこと」で評価し批判する習慣が身に付いてしまっているということができるように思えます。もっと早くしなさい、と子どもたちに叱咤するとき、効率を問題にしています。隣のご主人の収入を話題にする時、そこでも労働時間に対する収入の割合、つまり「効率の良いこと」を規範として評価して批判していることになります。

「人間だもの」という台詞はとても有名な台詞であって、効率的に生きることができない人間を上手に表現しているのではないでしょうか。結果が思わしくないとき、「人間だもの」。思うように行かないとき、「人間だもの」と一息抜くタイミングが重要です。まず一息抜いてから、どうすれば「マシ」になるかを考えるのです。私たちは自動機械ではないからです。

問題を解決するための自動機械ではないので効率は二の次でよいとしましょう。問題やストレスに直面した時その場にいる皆で、まず一息抜くということが家庭にとって極めて重要なコミュニケーションを作ります。では、そんな人間らしいコミュニケーションのチャンスを水泡に帰す言葉を紹介しましょう。これには数多くありすぎて一気に書き出すことは難しいのですが、例えば……。

「で?」という短い言葉は強烈な爆発力を持っているようです。それまでの会話の流れは関係ありません。一気に沈静化し場を踏みにじることに有効です。「そう」という言葉も同様の破壊力を持っていそうです。これらの言葉の共通していることは、否定です。相手の主張の一部か全部かは問題になりません。ですから、相手の存在を否定しているのです。存在を否定することこそが、コミュニケーションを破壊することのポイントです。

相手の気持ちに焦点を合わせることが思いを通じさせるコミュニケーションです。言葉に隠された否定の力は全体に及んで相手の気持ちを破壊します。それを繰り返すことで、相手はあなたに対して恐怖を抱き、言葉の同じ力を行使するまで後少しです。