変えてみれば実感できる。お父さんとお母さんの役割分担のシカタ

家庭もひとつの社会であるということができます。社会とは公共制度のことではありません。社会とは二人以上の人間の関わりを意味するからです。そして社会では必ず役割が区別され分担されることになります。全員が同じことをしている様子を想像すると滑稽なのがわかるはずです。私たちは本能的に役割分担がないことの愚かさを感じているわけです。

家庭での役割分担とはどのように行なわれているでしょうか。日本の伝統に則って役割が決まったのでしょうか?あるいはパワーバランスで決められたのでしょうか。実際、ほとんどの夫婦間社会においてパワーゲームが行なわれて家庭内での支配権が争われているとアメリカの社会学者が指摘したそうです。もちろん家庭内の役割分担は支配権を持っている人が決めるわけです。

座布団の置き方、衣類のしまい方、歯磨きチューブの絞り方など様々な方法を相手に強制することで具体的な支配権闘争が繰り広げられるのです。基本は自分のやり方に相手を従わせることです。ただこのような勝負事は時の運という要素もかなり含まれるため、全面勝利とは行かず、支配権の分布ができあがってきたりします。他人の家の話であれば、この支配権の分布を楽しむこともできるのですが、自分の家庭だと深刻なことでしょう。

他人事ではありません。その支配権闘争に必ず子どもが巻き込まれます。そして子どもは混乱の中に置かれることになるのです。混乱した支配権は子どもにダブル・バインドと呼ばれる状態をもたらします。ダブル・バインドとは逃れる術のない束縛のことであって、子どもは自分で状況を判断して行動することができなくなってしまうのです。そこで学習したダブル・バインドは子どもの将来に渡って子どもを束縛し続けるのです。

そのようなことになる前に、是非役割分担のシカタをチェックしてみましょう。ひとつひとつ自分の思い通りにならなかった物事を紙に書き出すという方法が簡便でしょう。そしてお父さんとお母さんがそれぞれの項目を突き合わせることで、暗黙に争われた支配権構想は明らかになってくるはずです。どのような項目が挙げられるかを予測することはできませんが、その作業の中でさまざまな事に気づくことができるはずです。

知らない間に強制していた行動。自分がどれだけ相手を束縛していたのか。このようなことに気づくことは稀なことに違いないのです。それらの中には変更する余地があるものが含まれているかも知れません。ほとんどの場合、こだわりがなかったことを見つけることができるはずなのです。そこで家庭内の役割分担のシカタが明らかになっていれば、家庭内の決まり事を変更することができるようになるのです。

結婚して家庭を形成するという行為は、いままでになかった家族文化を創造するという非常にポジティブな意味を見いだすことができます。そしてその創造性を放棄することで簡単に家庭の形成は監獄や墓場にたとえられるような苦痛に姿を変えてしまうのです。社会の機能を創造することは役割分担の変更をすることで実現できます。いままでとパターンを変更してみることなのです。

同時にいままで暗黙に縛ってきた規範が明るみになってくるにちがいありません。無用な規範を放棄して独自につくればよいのです。家族にとって都合が良いルール作りは親密な家庭を作るために大変有効な作業になるでしょう。共同作業がケーキ入刀で終ってしまったのではなかったのです。家庭も文化を宿すからです。家庭は与えられるものではなく共同作業で作り出すものだからです。