わかり合える家庭を目指すなら、お父さんとお母さんがすべきこと

知人の家からお父さんが出て行ってしまったという話をされました。子どもはお母さんのところに残されたといえるでしょうか。子どもは残されたのではありません。取り残されたのです。もはや話をするどころの問題ではなく、お互い弁護士を通してでなくては応じないという徹底抗戦の構えです。こうなってしまっては、コミュニケーションはわかり合える家庭を目指すことに何の役にも立ちません。

男性はしたことが高く評価された時、満足を感じます。なのでお母さんはお父さんの成果を誉めることでお父さんは生き生きしてくるのです。逆に女性は一緒にいることを求められるときに、満足を感じるそうです。お互いがお互いに満足するとき、成長することができるのです。よりよい状態に向かう成長は飢えている状態ではありえません。

男性が感情的に満足を覚えるのは、自分のしたことを高く評価された時です。そしてそれが足りないときわかりやすい反応を示すのです。その反応によって何を高く評価すればよいか、お母さんはまるわかりになるはずなのです。それはお父さんの自慢話なのでした。お父さんの自慢話の中で、お父さんがしたことを取り上げて話題をふくらませてみましょう。お父さんの目が輝くにちがいありません。

わかり合える家庭とは、つまりお互いの感情の状態と変化をフォローし合い支援し合える家庭に他なりません。私たちが言う満足とは極めて感情の問題であって、わかるという感覚も論理ではないからです。論理的に全く理解できなくてもわかったという感覚は得られるのであって、それで問題が生じないことがほとんどだということなのです。

このことにできるだけ早く気づき対応できた夫婦は幸せです。ほとんどの夫婦関係のもつれは感情のもつれに起因している事実があります。お互いに感情を無視する、障らないようにすることは大人の態度ではありません。相手の感情を大切にして、かかわり合うことこそが大人な態度だといえるでしょう。そしてこの大人な態度を互いに維持することがお父さんとお母さんがすべきことなのです。

コミュニケーションは相互関係です。ですから一方通行の行動では成り立ちません。一方的にお父さんが働きかけるだけでは応答は成立しませんし、一方的にお母さんが言い分を述べるのでも応答は成立しないのです。どちらもが相手のことばを受けて、応答するとき初めてコミュニケーションが成立することになります。そのコミュニケーションは一日でできるようなものではなく、一瞬で破綻するはかないものなのです。

ということは一発大勝負に打って出るようなコミュニケーションは避けなければならないのです。むしろ小さな、そしてささいな事を話題にした応答を繰り返してコミュニケーションを成立させることに熟達することが求められます。そしてお父さんとお母さんの間に成立している安定的なコミュニケーションこそがわかり合える家庭を実現するのです。

そのような安定したコミュニケーションを維持できる家庭であれば、子どもたちは安全に満足することができます。わかり合っている両親のもとに育つ子どもとは本当に幸せなことでしょう。コミュニケーションが安定しているならば、そのコミュニケーションに子どもが参加することは極めて容易です。ただ両親のマネをすることで、観察学習することで、コミュニケーションのルールを身に付けることができるからです。

自らの感情を客観視し、言語化することで周囲に相談する能力を獲得できたなら、子どもの成長にどれだけの貢献になるでしょう。この能力を家庭以外で学ぶのは大変な労力と苦労が避けられません。失敗をすることに直接的な痛みが伴うのです。お父さんとお母さんだからこそできることだといえるでしょう。